「スペインレポート」 by 渡邊 崇仁

第1回

FCバルセロナ対レアル・マドリー(クラシコ)が注目される理由とスペインサッカー

 41日、カンプ・ノウ(バルセロナ)でFCバルセロナ(以下バルサ)対レアル・マドリー(以下、R・マドリー)の試合があるにあたり、バルサ側からこの両チームの関係を振り返っておこう。日本でもこのスペインの両雄の対戦は、「スペインを2分する試合」などと大きく報道されるだろうが、現地(バルセロナ)にいれば、それはサッカーの試合というだけに止まらない。もちろん、この両チームがスペインに留まらず、ヨーロッパで残してきた結果だけ見てもライバル心が芽生えないわけはないが、ここでは、サッカーの試合という視点ではなく、より深い部分を簡単に紹介していきたい。

 もうすでにお分かりの方もいるだろうが、スペインは一つの国と言っても日本人が思う「国家」とは分けが違う。スペインは他民族国家で、バルセロナはカタルーニャ州の州都である。フランコ独裁政権時代(1939年〜1975年のフランコ死去まで)、フランコはその政治の拠点をマドリードに置き、カタルーニャ地方やバスク地方(スペイン北部)に服従を求め、文化・言語などに対して非常に厳しい弾圧を与えた。スペイン語以外の地方言語は禁止し、カタルーニャ人にカタルーニャ語の名前(ジョルディやチャビなど)を付けることさえ禁止していたほどだ。

 フランコは当時、サッカーを政治に利用し、首都マドリードのR・マドリーは支持を受けていた。バルサは改名を免れたが、カタルーニャ州の中には、スペイン名に改名を強制的にさせられたスポーツ・クラブも少なくない。フランコの死(1975年)で独裁政権は幕を閉じ、各地の文化や言語は復興し、工業都市として栄えたバルセロナも1992年のオリンピックを境に国際都市としてさらに発展を遂げ、カタルーニャ文化との融合を見事に果たしている。

 カタルーニャ州の代表であるバルサは、カタルーニャ人の誇りを象徴するチームであり、これが首都マドリードのR・マドリーに強いライバル心を生んでいるのだ。El Barça és més que un club(バルサはただのクラブ以上のものだ)。このスローガンが表わすように、歴史からもクラブというより、カタルーニャの代表であるバルサは美しい攻撃サッカーを武器に、カタルーニャ文化とバルセロナという国際都市の融合として世界中のファンを魅了し、世界に14万人近いソシオ(会員)を抱えるビックチームになった。

 スペインサッカーは、強い民族意識を反映し、バルサとR・マドリーの試合を代表とし、ホーム&アウェーがはっきりする激しい試合が展開される。それは、サッカーの試合を超え、都市間、民族意識、歴史など、様々な背景が色濃く反映されているためである。このような角度からスペインサッカーを見るとまた違った楽しみ方ができるのではないだろうか。

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著者の紹介:

渡邊 崇仁

 六浦少年SC〜横浜栄FC〜日大高校サッカー部に進む。 日本大学国際関係学部でサッカー好きという理由からスペイン語を第一外国語で学ぶ。大学卒業した2003年の9月にスペインのバルセロナへ。現在は旧ヨハン・クライフスポーツ・ビジネス学科で勉強しながら、スポーツ新聞の翻訳やサッカーの話題で楽しむ毎日を送る。(現在、スペインのスポーツし「マルカ」の訳を「livedoorSports」に掲載されています。http://news.livedoor.com/article/detail/3029458/が日本でもご覧になれます。